東大の現代文・1985年・第5問

アディオス
アディダス
アシックス!
みなさん、いかがお過ごしですか。
僕は元気です!校長先生は絶好調です!!


突然でありますが、僕は多くの皆さんに記事を読んでもらいたいと思っています。そんな魂が皆さんの中にスムーズに入っていくためには、滑らかな書き出しが必要不可欠です。

そこで考えました。毎度同じ書き出しにすればよいのではないか?・・・そんな結論に至りました。

始まりの挨拶は大事です。そこで、僕も挨拶をしてみようと思います。これを挨拶といっていいのかどうかは分かりませんが、これでスムーズにお話に入っていけそうです(これから“始まる”のに、“アディオス!”と言ってしまうところがポイント)。

それではみなさん、一所懸命まごころを込めて書いた作品をご覧ください!


ただなんとなく「久しぶりに現代文の問題を解きたいな」と思い、『東大の現代文 25ヶ年』(桑原聡、教学社)をネットで購入してしまいました。中古で購入したので、新品よりもかなり安く手に入れることができました。

さて、理系出身の僕がなぜ現代文を解こうと思ったのか?ということなのですが、「現代文が嫌いではないから」が一番の理由です(理由になってませんね)。文理を問わず、文章を正しく読むこと、さらには他者に分かりやすく説明することは、どんな人にとっても必要不可欠なことであります

今回は僕は受験生になったつもりで、問題に解答します。その中で、自分が思ったことを素直に書いていこうと考えております。

さて、早速始めましょう。1985年・東大の現代文・第5問・『古典の影』(西郷信綱)からの出題です。

☆本文の大まかな流れ☆

伊藤仁斎『童子問』の一節にいう。「一にして万にゆく、これを博学といふ。万にして又万、これを多学といふ。」

古典が偉大なのは、古典が私たちに投げかける志向性の影である。文学史などの学問が、おおむね無味乾燥であるのは、古典でいわれていることを単なる歴史的事実として対象化し、それが私たちに投げかける影を受け止めようとしないからである。

仁斎のことばにしても、たんに事実的に読むなら、せいぜい朱子学批判の一節にすぎず、おそらく引用にも値しないだろう。しかし、このことばで仁斎が何をいわんとしているかを読み取ろうとするならば、それは私たちの精神を強く照射することばとして、とみにそのこだまをひろげてくる。例えば、次のような一連のこだまを私の心に呼び起こす。

今日の論壇で活躍している八宗兼学を自任する士の多くは、「一にして万にゆく」ところの「博学」の士ではなく、実は「万にして又万」なる「多学」の徒に外ならないのではあるまいか。あるいは、ジャーナリズムという世界は、「多学」という名のさまざまな造花が咲き競い、ニセガネのひびきで衆人を欺く市場のごときものではないか。

いや、論壇とかジャーナリズムに限らず、私たち自身の今日の学問にしても、成長していく見込みをもっていない「駁雑の学」という泥沼におちこんでいるのではなかろうか。

今の日本において、学問的成熟がひどく困難であり、私たちの学問が結局、若いときにやった仕事の因習的な繰り返し、それの解体または水増しといった状態に終わり、「一」にしてついに「一」にすぎぬような形になりがちなのも、「一にして万」に至るその「一」なるものの根源的定立に欠ける点があるからではなかろうか。

仁斎の一文を読むと、私は否応なくこのようなことを考えさせられる。行間を読むという古来の読書法には、言語表現の本質からしても肯定される点があるはずで、とにかく、この行間の沈黙から発してくるもの、これが私たちに投げかけられた古典の影であり、古典が常に読み直され、そこに人が新たな意味を見出すのも、この影においてである。

だから、そこに表現されている観念の姿が私たちに放射してくる意味、それによって私たちを新たな探究に向かって開くところの意味が同時に問題なのである。『童子間』が日本における学問論の最も重要な古典であると私に思えるのも、この点にかかっている。

設問

-1- 「博学」(傍線部ア)と「多学」(傍線部イ)の相違を自分の言葉で説明せよ。

そこで僕の解答はこちら・・・【「博学」は、しっかりとした基礎を多くのことに応用させていくことに対し、「多学」は基礎をないがしろにした見かけだけのもの。】

ちなみに赤本の解答はこちら・・・【博学が一つの学問の本質を探究し究めるものであり、豊かな学問的成果をもたらすものに対し、多学は浅薄な知識を集めたに過ぎない。】

-2- 「古典の影」(傍線部ウ)という語の意味するところを自分の言葉で説明せよ。

そこで僕の解答はこちら・・・【古典を読み直して新たな探究に向かっていくときに、われわれの前に古典が示してくれる従来の解釈とは異なった新たな意味のこと。】

ちなみに赤本の解答はこちら・・・【古典作品の行間を通して、私たちの精神の姿勢を問い新たな探究に向かわせる、根源を極めようとする作者の真摯な精神の志向性。】



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 あとがき
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今回の問題は、今まで解いてきた問題の中で一番難しい問題でした。そのため、自分が解答をどのようにして書いたのか、それを言葉で表現することにも困難が伴いました。このようなやり方では全然力はつきませんな。

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このブログで、多くの“お出かけ”を記事にしてきました。それらをなるべく時系列でまとめてみましたので、過去記事(複数回にまたがっているものは、初回のみ)ではありますが、どうぞご覧ください。ちなみに、年代と季節に関しては、誤っていることが予想されます。気づき次第修正していきます。

2007 夏 九州
2008 春 東京都心
2009 冬 白馬
2009 春 お台場
2009 夏 大黒ふ頭
2009 夏 水天宮前
2009 夏 豊洲
2009 夏 東京23区
2009 夏 さいたま新都心
2009 夏 鉄道博物館
2009 秋 お台場
2009 秋 湾岸
2009 秋 ユーカリが丘
2009 冬 旭川
2010 冬 東京23区
2010 冬 首都高
2010 冬 東京の橋
2010 春 高知
2010 春 広島
2010 春 鎌倉
2010 春 雑司ヶ谷
2010 春 志茂
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2010 夏 千葉
2010 夏 横浜
2010 夏 安中榛名
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2010 夏 青森
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2010 夏 奈良・京都
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2010 秋 首都高
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2010 秋 北海道
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2011 冬 狭山湖
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2011 冬 東京23区
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2011 冬 永田町
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2011 夏 錦糸町
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2011 秋 京成線沿線
2011 冬 伊勢崎線沿線
2011 冬 京急線沿線
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2013 冬 筑後川昇開橋
2013 冬 福岡タワー
2013 冬 岡山・福山・姫路・丸亀
2014 冬 都心
2014 冬~夏 関東の城
2014 春 茅ヶ崎
2014 春 弘明寺

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本日の記事はいかがでしたでしょうか。これからもいろいろなことにアンテナを張り巡らせて、読み応えのある記事を提供していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

バイバイ!ララバイ!松竹梅!

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